全てに指標が欲しかった

「全てに指標が欲しかった」

どこまでいけば疲れていると言っていいのか。

どこまでいけば不安だと言っていいのか。

どこまでいけばイヤだと言っていいのか。

どこまでいけば・・

 

「全てに指標が欲しかった」

ここを超えたら、疲れた、不安だ、イヤだと言っていい。

そんな指標が欲しかった。

 

「常に誰かと比べていた」

あの人の方が頑張っているんだから、私ももっと頑張らないと。

あの人の方が疲れているんだから、私が弱音を吐いてはいけない。

あの人の方が仕事量多いんだから、私ももっとやらないと。

あの人の方が・・

 

「自分の心の声を聞こうとしなかった」

自分が本当はどう感じているのか。

私は何をやりたいのか。

私は何をやりたくないのか。

私はどうしたいのか。

すべて無視してきた。

自分の思い通りにやるのは、我儘でダメなことだと思っていた。

 

「いっそのこと倒れてしまいたかった」

倒れたら、

「私、こんなに頑張ってたんだ」

「私、こんなに疲れてたんだ」

と思えるから。

倒れてしまえば、周囲も認めてくれるだろう。

「あの人疲れてたんだね」と。

「あの人頑張ってたんだね」と。

よくそんなことを考えていた。

指標がないなら、

いっそのこと倒れてしまいたかった。

 

「人に対しても厳しかった」

私はこんなに頑張っているのに。

私はこんなに仕事しているのに。

私はこんなに耐えているのに。

私は・・

私より楽している人が許せなかった。

 

「こんな自分に疲れた」

常に誰かと比べて。

常に誰かを攻撃して。

自分の本当の気持ちは無視。

もしオーラが見えるとすれば、その頃の私はトゲトゲオーラ。

常にターゲットを探して、自分と比べ、誰かを攻撃する。

そんなトゲトゲ人生。

本当の意味で、心が休まる日なんてなかった。

そんな自分に疲れた。

 

「とにかく本を読んだ」

トゲトゲした自分を治したくて、本を読んだ。

心のあり方の本、トラウマについての本、考え方の本、断捨離の本。

すべての本が、私に優しく、私を受け入れてくれた。

そして、救われた。

 

「もう違う」

今の私は、もう誰かと比べていない。

自分の心の声を聞くようになった。

指標は必要なくなくなった。

基準は「私自身」

まだ、昔の片鱗が顔を出してくることがあるけど。

特に疲れている時、ニョキニョキと出てくるけど。

昔に比べたら、自分にも他人にも優しくなれていると思う。

私は私、その人はその人。

この世にはいろんな人がいる。

十人十色。

 

「楽になった」

基準を私自身にして、すごく楽になった。

私はどう思っているのか。

私はやりたいのか、やりたくないのか。

私は嬉しいのか、イヤなのか。

私は元気なのか、疲れているのか。

私は・・

 

心の声に耳を澄ますと、本当の自分の気持ちが聴こえてくる。

心の声を大事にする。

心の声に忠実に生きる。

時には、心の声通りにできないこともあるけど、

決して無視はしない。

心の声は聴きつつ、出来る範囲で動く。

無茶はしなくなってきた。

加減が分かるようになってきた。

昔は、そんなことしたらダメだ!我儘だ!と思っていたけど、

今は、まったくそうは思わない。

毎日が、楽しい。

こんなに心が軽い日が来るなんて。

幸せ。

 

自分で自分の心をがんじがらめにしていた。

自分では解き放つ術が分からなかった。

本に救われた。

解放してくれた。

何にも縛られないって、

すっごい楽。

なんにでもなれる気もしてくる。

今の私は、

なんともパワフルな本達。

いかに今の時間を有効に使うか、いかに今を充実して生きるか。

こういうことに興味が湧いている。

禅の言葉に涙していた私が、

まさかこんなに変われるなんて。

昔の私がいたから、今の私がいる。

これは間違いのない事実だけど、

断然、今が楽しい。

こんなにも人間は変われる。

人間は、弱くもあり強くもある。

自分がどうなりたいか。

考えるのも実行するのも、自分にしかできない。

無我夢中で本を探していた頃の私には、今の自分は想像できなかった。

先が見えなくても、一歩踏み出した勇気。

昔の私を褒めてあげたい。

「変わりたいと思ってくれて、行動してくれて、ありがとう。」